どうも、木村(@kimu3_slime)です。
組曲みたいな一体感って、もうユーザーが多様化しすぎてて無理なんだよね。コメントに統一感がなくてすぐ荒れる、すると楽しくない。そいういのが少ないのが例のアレで、わかってる人が集まってるからコメントが統一感あってくさくならない。
— 木村すらいむ (@kimu3_slime) November 29, 2017
動画の内容ではなく、視聴者層で選んだ方が楽しいニコニコライフを送れる、ということは多い。万人向けのゲーム動画とか、昔は好きだったんだけど、09年あたりから見てられなくなった。今は濃いファンがいるゲーム実況なら見れる。
— 木村すらいむ (@kimu3_slime) November 29, 2017
このツイートの話を具体的に、より深く書いていこうと思います。
いつものこのブログの記事と違い、客観的よりもむしろ主観的に書いていくので、「俺が思ってるニコニコと違う!」と言われても知りません。
僕が経験したニコニコの話、特にコメントの一体感の話をします。
組曲に見た「ニコニコ」の終わり
組曲とは、2007年6月23日に投稿された組曲『ニコニコ動画』のことです。
画像引用:組曲『ニコニコ動画』
僕は組曲を、2007年代のニコニコの象徴と考えています。
参考:ニコニコ動画初期(2007年、(仮)〜(β))の話をしよう 空耳コメントの面白さ
「ニコニコ動画が面白いらしい」という噂がネット上で広がり、登録ユーザーが爆発していた時期。
組曲は、当時流行っていた曲である「レッツゴー!陰陽師」や「魔理沙は大変なものを盗んでいきました」をニコニコの代表曲として取り上げています。
当時の僕は、その動画における弾幕の一体感と、全く違う作品がひとつにまとめられたカオスさに感動しました。
それと同時に、なんかくせえな、と思ってしまったのも事実です。
ここではすでに、「ニコニコとは何か」が意識され、決められ始めているのです。ニコ厨と言えば、「ごっすんごっすん」言って「あいしてるうう」と言っている生き物だと。組曲に代表されるニコニコ、組曲的ニコニコだけがニコニコ的なノリと言われると、うわキツってなります。
「ニコニコを愛している」と言う人が増え、「僕らがニコニコを作ろう」と二次創作をする人が大量に生まれました。組曲の歌ってみた、替え歌、描いてみた、再現してみたはもちろん、新しい組曲である「流星群」も作られました。
組曲以降の動画には、「みんなの好きなニコニコ」を取り合う人気争いが感じられます。ニコニコ発の文化として外部にも知られる初音ミクやゲーム実況も、初期以降はそういう競争がありますね。
ニコニコも初音ミクも、人気シンボルとしての地位が確立すると、それを利用した自分のファン作り・作品販売につなげていく流れが生まれてしまうんだなあと。
動画の投稿数も増えクオリティも上がっていったのに、なぜだかニコニコは陳腐になってしまった。カオスは、MAD動画に引き継がれるのみだった。(大衆化するとオワコンになるのは、この件に限らずコンテンツの宿命ではありますが。)
複製された「ニコニコ」にハマれない・ついていけなくなると、どこへ行っていいのかわからなくなってしまいました。
2009年にかけてのコメントの窮屈さ
「昔のニコニコ動画を見ていた」と話す人の話を聞くと、組曲か特定のMADが人気だった頃(2007年)が好きだったか、ボカロ(~2009)までは追っていた、というパターンが多いです。
僕は2008年あたりで、だんだんとニコ動に「ついていく」のをやめました。「コメントを見るのがつらくなってきた」というのが主な理由です。
例をあげましょう。
「歌ってみた」ジャンルの先駆けとなった「エアーマンが倒せない」系の動画で見るコメントが嫌いでした(曲はすごいと思う)。せらさん、Jさん、ねこかんさん、ゴムさんのバージョンの歌ってみたが好きというコメントをする人が出てくるんですよね。熱心なファンがいて、作品をめぐって言い争ったりしている。それを見るうちに、僕は歌ってみた系のジャンル全体を見たくなくなりました。
また、ゲームのプレイ動画・TAS動画も当時はよく見ていたのですが、コメントが荒れ果てていて見るのをやめてしまいました。
「これはチート」「↑チートじゃなくてTASだろ」みたいな。動画に向けたコメントではなくて、コメントに向けたコメントって基本的に面白くないんですよね。
当時は、NGコメントやNGユーザー機能を活用していた記憶があります。
サービスに人が増えれば、特定の作品の信者や、マナーの悪いユーザーが生まれるのは当たり前です。にちゃんねるはそうですよね。
とはいえ、ニコニコ動画ではコメントを通じてその荒れている様子が強制的に「見せられて」しまう。ユーザーが多様化して低品質なコメントが増えると、ユーザーNGではキリがなくなるんですよね。「コメントのノリが自分とは違うな〜」と思ったら、見る動画のジャンルを変えるしかない。
こうして、「このジャンルは見ない」と決断することが増え、面倒臭いコメントがなく楽しめるジャンル(MADとか)にこもっていったのです。
2009年くらいになると、ニコニコ動画ユーザー全員の共通体験なんてないんですよね。各ジャンルに分断されてしまっている。
初期はジャンルが混ざった動画なのにコメントの一体感があって面白かったけれど、2009年の頃は満員電車のようなギスギスした窮屈さを感じました。
例のアレの居心地良さ
こうして離れたニコニコ動画でしたが、僕は2012-13年頃から再び見るようになりました。
きっかけは、「例のアレ」カテゴリの面白さです。(ゲーム実況もそこそこ見てましたが。)
友人がチャージマン研!の面白さを布教していて、それをきっかけに例のアレを見るようになったら、ホモビを元ネタにした淫夢という盛り上がりつつあるジャンルも知ることに。
淫夢の盛り上がりが、冒頭のツイートを考えるきっかけの話につながります。
https://twitter.com/manofrealdt/status/935467576464781313
だいたいあってる
いまやおもちゃにできるのがホモビ「しかない」のがなんとも言い難いけど https://t.co/MFYfw187dC
— にしたけ (@nishitakevast) November 29, 2017
ミュージカルだったりゲームPVだったりエロゲPVだったり…そこまで古い時代にいかなくてもレトロアニメだったりお笑い芸人のシーンだったり宗教ビデオだったり、おもちゃに多様性があったのがなくなったという話
— にしたけ (@nishitakevast) November 29, 2017
初音ミク・歌ってみた・ゲーム実況は、00年代後半だけ、多く見積もってせいぜい2012年あたりまでが全盛期で、以降勢いを失ってきました。
実際、ニコニコ初期を知っている人に話を聞くと、10年代以降まで追っている人は稀です。
Youtubeや他動画配信サービスも増え、投稿者もニコニコから離れていく傾向にあります。ニコニコに育てられた世代は、ニコニコの外で活躍しているのです。
一方で、10年代以降で逆に盛り上がってきたのが、例のアレ・淫夢です。
例のアレの台頭にはさまざまな理由が挙げられると思いますが、僕はコメントが生み出す一体感が得られることに注目します。
例のアレカテゴリのコメントでは、主に淫夢語録と呼ばれるネットスラングが使われ、笑うときは「wwwwwwww」ではなく「草」が使われます。
参考:ネット語録とは何か?特徴は? 淫夢語録、尊師語録などを例に考える、草・草生える・草不可避の意味・元ネタを徹底的に調べてみた
彼らは自らをホモ(セクシャリティの話ではなく、淫夢民を表す)と呼び、「www」コメントをする人をノンケ(非淫夢民のこと)と区別し、「草生やすな」ノンケを迫害します。
このように、例のアレのコメントは一般ユーザー(ノンケ)には厳しいのですが、代わりに統一感が生まれます。いわゆるノンケフィルターです。
これとかまさに「ノンケフィルター」であえて人を選ぶようにしてる典型例だけど / ホモと見るニコニコ動画(γ)初日に投稿された動画のランキング.20070306 https://t.co/yFFSPBQc2q #sm30803075
— にしたけ (@nishitakevast) November 29, 2017
例を挙げましょう。純粋な淫夢動画ではないけれど、例のアレ的なコメントが多くて好きな動画です。
ひとつめは、ホモと学ぶ「ザ・メイキング」シリーズ。
もとは生活に身近なものがどうやって工業的にできあがっていくかを説明する真面目な動画ですが、コメントが盛り上がっています。
工場のシーンは「労災ポイント」と呼ばれ、他のさまざまな動画でも労災ポイント探しが行われています。略して労ポとも。
淫夢の中の嫌われ者キャラひでの名前を取り、ひでポイント、ひでポという派生ネタも生まれています。
もうひとつは、ホモと見る「Primitive Technology」シリーズ。
元動画は、原始的な技術を使って家を建てたりするPrimitive TechnologyというYoutubeの試みですね。
BGMは自然音のみと静かで、何を作ろうとしているのか音声や文章による解説はありません。
にもかかわらず(だからこそ?)、コメントが盛り上がっています。「トイレかな?」「猫穴でしょ。」「トイレ確定」「焼きトイレ」とトイレ認定をして、最終的にはいつもかまどが出来上がっているという流れができています。
ホモと見るシリーズは、淫夢原理主義者には嫌われることあるけど、僕は好きです。
メイキングやprimitive technologyには、動画単体ではなく不特定多数のコメントの妙による面白さがあります。この妙は、初期のニコニコにあったそれと似ているのです。
例のアレのコメントは、ノンケ的な表現を禁止し、見かけ上の表現の幅は狭いです。しかし、その一様性がかえって連帯感を生み出し、語録にさえ従っていれば自由なコメントを楽しくすることができます。
結果、例のアレの動画は、再生数に対してコメントが多い、アクティブな印象があります。
だから僕は例のアレカテゴリが好きになり、現在に至るまで安定して追い続けています。
コメントに一定の質が保証されている安心感から、例のアレにたどり着いたユーザーは少なくないのではないでしょうか。
組曲に臭さがあったように、例のアレのコメントにも臭さがあります。
例のアレで臭いコメントをする人はホモガキと呼ばれ、「ランキングに上がる動画がホモガキが多すぎて、例のアレが終わった」みたいなことが月1ペースくらいで言われています。こいついつも終わってんな。例のアレにも十分人が増えたのです。
とはいえ、一般の動画に比べるとはるかに外れコメント率が少ないのです。これは淫夢語録、あるいは例のアレで流行っている語録全般のおかげかと思います。
ニコニコ動画の面白さは、動画単体にあるのではなく、動画とコメントを合わせた面白さにあります。
であるならば、コメントを楽しめる動画が多いジャンルが流行るのは必然でしょう。これは例のアレの台頭をよく説明していると思います。
コメントに統一感さえあれば、そのジャンルは盛り上がっていくと思います。
例えばジャガーマンMADのコメントは淫夢的ではありませんが、統一感があります。ゲーム実況者の一部も、独特の空気を持ったファンのついた動画のコメントは面白いです。
niconico(く)の発表が行われ、「ニコニコが終わった」かのようなムードがただよっています。
僕はニコニコ(の運営)には期待していないし、「ニコニコ全体を盛り上げなくては!」とも思っていません。終えるべきものは終えて、次に進みましょう。
ただ、僕はニコニコが終わったとは思っていません。現に10年前から今まで、コメントに一体感のある動画は楽しいのですから。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。
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