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2005年以前と以降、変わらぬものと変わるもの 「ネット歴史教科書」を読む

どうも、木村(@kimu3_slime)です。

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」を読みました。長いので以下、ネット歴史教科書と呼びます。

前々から買ってあって読もうと思っていたのですが、積み本になっていました。だって、500ページ近く長いんですもの……。また、文章的に論じる部分と、資料的な羅列が混ざっているので、どこから読めばいいか迷いました。しかも2005年の本です。

でも読みました。読み始めたきっかけは、今年2019年1月にNHK教育で放送された「平成ネット史(仮)」です。平成の約30年間をまとめたもので面白かったのですが、当然「歴史に載るものと載らないもの」が出てくるわけです。では、「ネット教科書」には何が残されているのだろう?と気になり、読んでみたのでした。

目次

序章 JUNETとfj〜ワールドワイドウェブ以前

第1章 ニッポンの商用インターネットの創成期

第2章 インターネットブームの光と影

第3章 ウワサ話はネットにのって

第4章 個人サイト新世紀〜そしてウェブログへ

もうひとつの序章 パソ通フォーエバー

補章 資料

教科書の名にふさわしく、出典が詳しく事実をベースにして語っています。それに合わせ、サイト運営者によるインタビューなど、ユーザー目線というか、俗的な歴史が感じられる本となっています。

FLASHやWinny、ブログの話は個人的に体験していた部分ではあったのですが、テキストサイトやあめぞう(2ちゃんねる誕生の経緯)の話はリアルタイムに経験していなかったので、参考になりました。

この文章では、「昔も今も変わらないもの」と「教科書に載っていないもの」について書いていきます。

 

昔も今も変わらないもの

羅列的に、今も昔も変わらないなと思ったものを紹介していきます。

ハッキングと捏造

掲示板荒らしやハッキングの話。1997年5月に、農林水産省の掲示板にアクセスするとオウム真理教のテーマソングが流れるクラッキングを設置した人がいたそうです。結果として、オウムに強制捜査が行った事件がありました(もちろんオウムは関係ないのですが)。

行政機関のウェブサイトに宗教系のいたずらを仕掛けるという点では、現在のカラッキングと完全に同じですね。オウム真理教の部分が恒心教に置き換わった。そもそも恒心教という名称・活動はオウム真理教の報道にインスパイアされたものであり、隠語(ジャーゴン)の使用などの流れは受け継がれています。

参考:ネットに強い弁護士・唐澤貴洋は、なぜ100万回殺害予告されたのか? ハセカラ騒動を解説

 

荒らし、炎上への対処方法

掲示板やサイトが荒らされた時の対応策の話は、現在の炎上対策に通じるものがあります。

まず荒らしに対して「警察に通報します」とか「やめてください。こんなことをして何が楽しいんですか?」などと反応してしまうのは逆効果で、内容は何であれ反応した時点で荒らしの目標は達成されてしまう。場の空気を乱すことが目的だからだ。

引用:151

僕もハセカラ騒動からまず反省的に学ぶべきこととして、「不用意に削除や法的手段に訴えないこと」があると考えています。もちろん法的事案で対処すべき段階のことはそうですが、第一段階としては「むやみに反応しない」のがSNS時代の炎上に対しても有効ではないでしょうか。

参考:ハセカラ騒動から何を学ぶべきなのか 「炎上弁護士」を読んで

 

新住民と旧住民の対立

インターネットを歴史を整理するときに、何かすべてを網羅し尽くすのは難しく、対立が起こる話もありました。

2002年11月の「blog騒動」と呼ばれるもので、ちょうどウェブログの文化が輸入され盛り上がってきたときに、「ウェブログ的なサイトなら昔からあるではないか」と個人サイト側から反発が起きました。土地における旧住民と新住民の対立のようなものですね(これは今のネットでもあります)。

新しい文化と呼ばれ評価されるものが生まれると、これまで自分たちが築いてきた文化がなかったことにされるのではという不安があったのではないか、という分析がされています。僕もこの「文脈をつなぐ」というサイトで一般にはまだ評価されていないネット文化を残していきたいと思っているので、共感するところがありました。

参考:2018年、ニコニコ文化とは何か? 未だ認識されぬ「例のアレ」を例に

 

ネット有名人、ネットウォッチ

2002年にはてなダイアリーが誕生しますが、この時点で「ネット有名人」という概念が生まれているのは驚きでした。東浩紀さんや町山智浩さんが、「ネットで有名な有名人」と呼ばれています。また彼らにはアンチが伴い、ネットウォッチの文化がすでに確立されているのが驚きでした。

17年経った今でも、変わらないものがあります。

 

教科書から15年、何が記されているはずなのか?

ネット歴史教科書は、素晴らしい本でした。……2005年以降のことが記されていないこと(当然)を除けば。

今僕は2019年に生きています。この15年の空白には、何が描かれているべきなのか。ネット歴史教科書に取り上げられてしかるべき2005年以降のトピックは、何なのか? 適切な本を僕は知りません。それを部分的にでも良いから描きたいものです。

 

まず難しい部分が、ネットが発達すればするほど、「ネット」というくくりで全体像を描くのが難しくなることです。

「平成ネット史」でもそうだったのですが、00年代の記述は充実していても、10年代になるとふわっとした、あるいは偏った記述で終わってしまった印象があります。ネット歴史教科書でも、個人サイトやウェブログの「誕生」は描けるのですが、発展して数が増えていくともはやどこを描けば「歴史」と言えるのか定かではなくなってきます。

2005年以降のネットの歴史を記述するなら、例えば「ニコニコ動画の歴史」「Twitterの歴史」など、サービス単位に限定して描くことが求められるかと思います。部分的な歴史記述を増やすことで、ようやく全体的な理解にたどり着けるのではないでしょうか。(例えばTwitterの歴史を記述していく中で、2ちゃんねる時代のコピペが伝承されていることがある……といったように)

 

特にこの2010年代に起こった変化は、「ネット=PC(ケータイは別の文化を作っていた)」図式だったものが、モバイル環境が発達してきたことです。

より一般の人が日常的に外でもネットに接続するようになった。ネットが趣味人の場から、日常的コミュニケーションのインフラとしての位置するようになってきた。これによって大きな行動の変化が起こっているはずです

2011年に「リアルタイムメディアが動かす社会」という本が書かれていますが、スマホの登場により、ウェブコンテンツとしてSNSとアプリ(そーしゃるゲーム)が新たに登場してきました。ここでは、ブログや掲示板、動画共有サイトの時代とは異なる文化が生まれてきていることでしょう。

 

2017年末から盛り上がってきたバーチャルYouTuberについて、僕は「バーチャルYouTuber文化論」を書きました。

書いてみて感じるのが、「YouTuber文化論」や「ニコニコ動画文化論」や「Twitter文化論」もまた必要だということです。民族的な視点からの信頼できる歴史的記述がもっとあってほしい。Vtuber以外でも、10年代ネットの歴史の記述に部分的に貢献していきたいと思っています。

 

また、サービス単位ではなく、(日本の)ネットミームの歴史を描き出したいと思っています。「ユリイカ・バーチャルYouTuber特集に寄稿しました+α」でミームの個人史を少し書きましたが、より体系的な文章を完成させたいです。

ネット全体の歴史を記述するのは難しくても、ミームの歴史という観点なら確かに描けるものがあると確信しています。ミームについてはこれからも書いていくので、お楽しみに。

木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。

 

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