どうも、木村(@kimu3_slime)です。
「インターネットと古典、その二つだけが僕の人生で大切なことだ」で書いたように、インターネットが生み出す文化に興味があります。
そして、それを古典・学問的な方法で分析してみたいのです。
そのために、最近は古典の本を読み進めています。古代はギリシャから始まり、近代の前半(1800年あたりまで)の本は読めたかなと。
僕はこの読書をもっと進めたいと思っています。産業革命、メディア論、コンピュータの出現あたりのトピックはちゃんと説明できるようになりたいんですよね。
とはいえ、読書だけだとなんとなく目標としてはっきりしません。インプットには切りがありません。それがどんなアウトプットをもたらすのかを考える、それが活動としては大事なことでしょう。
やりたいこと
そこで記事タイトルの「インターネットが生み出す文化」を研究して、本が書きたい、の話です。
「木村さんは次に何をするんですか?」と聞かれたときに、「インターネットの文化の本を書く、それにあたり古典・学問全般を勉強している」というのは納得しやすい。
はい、宣言することは終わり。あとは迷ってることについて書いていきます。
やりたくないこと
何をやるかよりも、何をやらない・やりたくないかはすぐに述べられるかと。
いわゆる「ネットの専門家・社会学者」にならない
声を小さくして言うことですが、現代の新書やウェブで見るようないわゆるインターネット論、社会学(とされているもの)に安易に近づきたくないなっていうのはありますよね。インターネット論や社会学の本はあふれていて、玉石混交だと思います。
(デュルケムとウェーバーあたりの社会学は好きです。しかし、だからと言って現代の日本の自称含む社会学者を無条件に肯定するつもりはありません。)
もちろんちゃんとしてる人は良いのですが……(何をもってちゃんとしてるかという話もある)。ブロガー発でこれらのテーマについて語ることには、慎重になりたいのです。自分の領域と力量を弁えるということです。
だから、「ネット・ソーシャルメディアの専門家」とか「社会学者」みたいな肩書きは安易に名乗りたくありません。(「ネットに強い弁護士」がどうなったことか……)
確かにそれらは求められている仕事かもしれません。しかし、その名にふさわしい結果・能力を持たない限り、そう言った肩書きは使わないようにします。
自称研究者にならない、という話はこちらでも:インターネットと古典、その二つだけが僕の人生で大切なことだ
また、ありふれた肩書きは使いたくありません。創造性がない。これはいわゆるブロガー、アフィリエイターの肩書きに対して思うことと一緒です。個々人によって性質が違いすぎるのに、くくった肩書きで語れば、その肩書きに対する個人的・社会的な印象が入り込んでしまいます。
組織に所属せず個人を売るなら、みんなが使っている肩書きを使うのは損ですよね。肩書きは実際上わかりやすさのため必要ですが、被らない(先入観を持たれない)のが大事。
無理やり「〜学的に解説する」人にならない
似ている話ですが、「流行を”〜学的に解説する”」みたいな記事、あれはやりたくないです。面白いこともあるんですけどね。
読んでみると、話題のトピックと「いわゆる学問」を組み合わせただけ、自分の詳しい分野につなげて語ってるだけで、読者に知識がないのをいいことにこじつけているだけじゃないかと思うことがあります。その知識見せたいだけじゃんみたいな。そんなことのためにインターネットや学問を使いたくはありません。
インターネットの記事に限らない話ですが、大きな学問の名前を借りて何かを語るのは、おこがましい。学は一個人がそんなに簡単に語れるものではない。せめて専門くらいにしたいですよね。「〜学」に伴う権威で読まれる時代とか終わりでしょう。
単に本・文章を売る人にならない
先ほど、「インターネットの文化の本を書く」と言えばわかりやすいと言いました。これは人に活動を伝えるための方便だと思ってます。
正直なところ、本を書くのを目標にするのってダサいです。著者になることへの憧れや、ウケるために本を書くつもりはありません。
僕は、インターネット文化に関する本・文章が書ければ、それで良いとは思いません。
企画が立って売れる本・文章ができたとしても、それは商売として成り立つことの保証でしかありません。その内容の正しさが保証されるわけでもないし、時代を超える普遍的な価値があるとも限らないのです。
正しさのレベルで言えば、本は一般に論文より弱いです。とはいえ、論文は本に比べると一般の人が読みにくいです。そこはバランスですよね。
論文として通用するレベルの正しさ・普遍性のある研究をして、それを本に落とし込む。本を書くことは研究とセットで考えています。
やっていくこと
では、「インターネットが生み出す文化」を研究するにあたり、次に何をやっていくか。
当たり前のことですが、テーマを明確にする、アプローチを増やす・決める、文献・先行研究を調べるの3つは必ず行うことになります。
テーマを明確にする
「インターネットが生み出す文化」ってめちゃくちゃ広いテーマですので、絞らなければ何も言えません。
ここでいうインターネットとは、このブログで取り上げているような、ニコニコ動画・にちゃんねる・Twitterなどのいわゆるアングラ的なインターネットのことです。
これまでに考察してきたトピックは、以下の通りです。
インターネットは二次創作・共同創作だ:「例のアレ」=表ではできない面白い二次創作ネタ全般。ニコニコ動画を超えた存在、ニコニコ動画の面白キケン地帯「例のアレ」とは?
定義のはっきりとしない言葉を、事例をもとに整理:音MAD・映像MAD・ファンムービーの総称「MAD」とは? MADらしさとは何か?
スラング(語録)とコンテンツの盛り上がりの関係:なぜ「淫夢」は発見から8年経ってもニコ動でオワコンにならないのか?
ニコニコ動画における人気ジャンルの移り変わりを視覚化:「例のアレ」カテゴリのブームはどう移り変わってきたか? 月間ランキングを年ごとに見る(2007-2016年)、「例のアレ」で人気なジャンルは? ランキング表示回数をグラフにしてみた・2016年12月
現時点で興味がある(研究になりそう)なのは、二次創作論とスラング(語録)論ですかね。この部分はまた別記事で詳しく考えることにします。
アプローチを増やす・決める
テーマを決めたとして、その問いに合った手法を知らなければ研究はできません。
数学についてはやり方はわかっているのですが、他のジャンルとなるとさっぱりです。現在大学で教えられているような、社会学系の研究手法は知っておく必要があるかと思います。
また、つなげられるかわかりませんが、数理の色がある手法も試してみたいです。具体的には、感染症・疫学の数理とかネットワーク理論・グラフ理論とか。仮にシミュレーションでネット上の現象を説明できたら、説得力が増しますよね。そちらも調べてみます。
文献・先行研究を調べる
同時並行的に、テーマに近い文献や先行研究を調べます。
僕は文献・先行調査が好きで、気づくとテーマに関係ないのにこればっかりやってしまう。文献に詳しいけど、何も研究してない人になってしまわないように気をつけたいです。
東浩紀「動物化するポストモダン」「弱いつながり」、ティム・バーナーズ=リー「Webの創成」、池田信夫「ウェブは資本主義を超える」、荻上チキ「ウェブ炎上」、濱野智史「アーキテクチャの生態系」あたりは読んでみて面白かったです。
ドーキンスのミームの話は興味深いテーマですが、リチャード・ブロディ「ミーム 心を操るウイルス」は学問的にしっかりしていないと思いました。一応ミーム関係の情報も調べてみるとは思います……。
インターネットに関する概説書を読むだけの漠然とした興味でやろうとすると、よく失敗するそうです(笑)。論文調査は当たり前ですが、大事です。
今年の卒論のもう一つの感想は、漠然とインターネットやツイッターについて社会学的に研究したいという卒論も高い確率で失敗するということである。もちろんインターネットやツイッターの社会学的研究が失敗することを運命づけられているというわけではないが、うまくいった卒論にはたぶん一度も出会ったことがない
(中略)
先行研究をみるかぎり、やり方次第でいくらでもインターネット関連の研究は可能であるように思える。それにもかかわらず、卒論でしばしば失敗するのは、インターネット関連の概説書を読む以上のことを学生がやっていないということに起因すると思われる。それゆえ Cinii や社会学文献データベースの検索を強く指導する必要があろう。
引用:「インターネットの社会学」といった卒論をどう指導するか? – Theoretical Sociology
まずは、二次創作・スラングあたりをテーマに新しく文献や論文を探してみようかと。せっかく調べるなら、テーマを切ってメモ程度にブログでまとめるかな。
木村すらいむ(@kimu3_slime)でした。ではでは。